夏目鏡子述・松岡譲筆録『漱石の思い出』(文藝春秋)を読みました。
文豪・夏目漱石の妻の鏡子が語る、漱石の思い出話を、松岡譲(漱石の長女・筆子の夫)が聞き取って書いた本です。
身内を相手に話したからなのか、鏡子の性格なのか、夏目漱石の赤裸々な思い出がわかり、大変面白かったです。
とくに、こんなことまで書いちゃうの?と思ったのが、夏目漱石のお金の話。
給料・家賃・借金・貯金の金額まで、『漱石の思い出』には書かれています。
今回、『漱石の思い出』に書かれた漱石の給料について整理し、次回、漱石の作品に出てくるお給料の金額などと比較したいと思います。
夏目漱石のお給料
『漱石の思い出』から読み取れる漱石の給料は、次のとおりです。
以下の(○歳)は、漱石の数えの年齢です。
明治19年(20歳)
大学予備門に通いながら、江東義塾(私塾)で教師のバイト/月5円
明治26年(27歳)
大学院に通いながら、東京高等師範学校で嘱託の英語教員/年棒450円(月給約40円)
明治28年(29歳)
伊予松山中学校で教員/月給80円
明治29年(30歳)
第五高等学校(熊本)で教授/月給100円
明治33年(34歳)
英国留学/学資が年間1,800円(家族には休職月給25円)
明治36年(37歳)
第一高等学校で教授/年棒700円
東京帝国大学文科大学で講師/年棒800円
(合計で月給120円)
明治37年(38歳)
明治大学で講師/月給30円
(一高・帝大・明大で月給150円)
明治40年(41歳)
一切の教職を辞し、朝日新聞社に入社/月給200円+賞与2回(月給三月分)
明治時代のお金、今の価値は?
せっかくお給料の額が詳しく書かれているのに、明治時代と現在が、あまりにもお金の価値が違いすぎて、ぴんとこないんですよね。
そこで、明治時代のお金が、今の価値でいくらかを調べてみました。
「明治時代の1円が、今のいくらか?」という問題は、なかなか答えの出ない問題であるようです。
当時と今では、生活様式も違いますし、物やサービスによって物価の上昇率も違うためです。
企業物価指数で計算してみる
まず、漱石が帝大で働き始めた明治36年と、令和元年の金銭価値を比較しようと思います。
日銀のサイトを参考に、企業物価指数(戦前基準指数)を比較すると、次のようになります。
698.8(令和元年)÷0.504(明治36年)=約1,386倍
<参考サイト>昭和40年の1万円を、今のお金に換算するとどの位になりますか? : 日本銀行 Bank of Japan
じゃあ、明治時代の1円=今の1,386円かというと…。
漱石のMAX月給200円が、今の月給27万円と同じ価値とは、とても思えません。
企業の取引の指数である「企業物価指数」と、消費者の取引の指数である「消費者物価指数」が、2倍差があったと仮定しても、明治時代の1円=今の2,772円。
すると、月給200円は、今の月給55万円になります。
より現実的ではありますが、漱石の松山での月給80円が、今の月給22万円というのも変な感じがします。
帝大を出た一流エリートが、月給22万円は違うでしょう。
明治時代1円=今の1万~2万円?
「明治時代の1円が、今のいくらか?」の問題は、深入りすると沼にハマりそうです。
ネットで調べると、「明治時代の1円=1万円~2万円くらい」で考えている人が多いようです。
今回は、「明治時代の1円=現在の2万円」を使用して考えたいと思います。
<参考サイト>明治時代の「1円」の価値ってどれぐらい?(1) | お金の歴史雑学コラム | man@bowまなぼう
漱石のお給料、今の価値では?
先に挙げた漱石の給料を、「明治時代の1円=今の2万円」に変換すると、次のようになります。
20歳 私塾でバイト/月10万円
27歳 高等師範学校で嘱託教員/年棒900万円(月給約80万円)
29歳 伊予松山中学校で教員/月給160万円
30歳 第五高等学校で教授/月給200万円
34歳 2年間の英国留学/学資が年間3,600万円(家族には休職月給50万円)
37歳 第一高等学校で教授/年棒1,400万円
東京帝国大学文科大学で講師/年棒1,600万円(合計で月給240万円)
38歳 明治大学で講師/月給60万円(一高・帝大・明大で月給300万円)
41歳 朝日新聞社に入社/月給400万円+賞与2回(月給三月分)
いくら一流エリートといえど、大学院とかけもちでやっていた嘱託教員(27歳)で、年収900万円は凄いですね。
MAXでお給料をもらっていた朝日新聞社では、年収4,800万円+賞与です。
「1円=2万円」の前提が多すぎただろうか…とちょっと心配になります。
また、漱石がイギリス留学中、日本にいる家族が困窮し、ある着物を全部着古してしまったという話と、「休職月給50万円」があわない感じがします。
子ども二人に、女中もいるし、当時はオーダーメイドでしたでしょうから着物を作るのにもお金がかかったからでしょうか。
「明治時代の1円=現在の1万円~2万円」と考えて、上記の金額がMAX~下限がその半分くらいだったと考えてもいいかもしれません。なんて、おおざっぱな!
漱石と当時の人のお給料
現在の価値に置き換えても、なんだか実態が見えてこない感じがするので、当時の人たちのお給料と比較してみましょう。
校長より給料が多い漱石
松山の中学校で、校長の月給60円より多い、月給80円を漱石はもらっていました。
といっても、今日のように60歳近い校長先生ではなく、当時の伊予松山中学校の校長は38歳でした。
そのため、29歳の漱石とは、10歳くらいしか違いません。
ちなみに、教頭先生も帝大卒で、月給80円でした。
<参考サイト>『坊ちゃん』と学校について詳しいので、おすすめのサイトです。
庶民の給料と漱石
先に挙げた「man@bow」のサイトによると、一般人の給料はこんな感じみたいです。
明治30年頃、小学校の教員やお巡りさんの初任給は月に8~9円ぐらい。一人前の大工さんや工場のベテラン技術者で月20円ぐらいだったようです。
漱石の生涯の月給は、80~200円ですから、一般人の約10倍は月給があったことになります。
さすが、帝大エリート。
大卒者の月給の例だと、国家公務員の初任給は50円、銀行員の初任給は20~30円だったようです。
<参考サイト>明治〜平成 値段史
漱石が初めてフルタイムで働いた松山の中学で月給80円ですから、他の大卒の人々よりも随分多く貰っていたことがわかります。
上には上がいる?
総理大臣の給料(明治43年)が年棒12,000円、国会議員の報酬(明治32年)が年棒2,000円だったみたいです。
<参考書籍>『新訂総合国語便覧』(第1学習社)
漱石は朝日新聞社に入社したのは明治40年で、ズレはありますが、月給200円+賞与でしたから、当時の国会議員よりも多く貰っていた可能性が高いと思います。
当時の朝日新聞社の社長でさえ月給150円だったという話もありますから、破格の待遇がわかります。
それにしても総理大臣はすごいですね。
今の価値だと、年収1億2,000万円~2億4,000万円という感じでしょうか。
ちなみに、現在の総理大臣の年収は4,000万円くらいのようです。
明治時代の格差はすごい
いやぁ、明治時代の格差は、すさまじいですね。
「百円工女」という言葉もあったように、製糸工場で働いていた女性は、一番優秀な人だと年100円が稼げたようです。
かたや、20代・帝大卒のエリート教師である漱石は、一ヵ月で100円稼いじゃうんです。
さらに、総理大臣は、一ヵ月で「百円工女」の10年分稼いじゃうんです。
今でも、周りと比べて収入が多い人は勿論いますが、公務に就いている人の収入がとても多い辺りに、今の時代との差を感じます。
今回、漱石はいっぱいお給料をもらっていたということがわかりました。
次回、漱石の作品に出てくる金銭関係について考えてみたいと思います。
↓お給料小説『坊っちゃん』より、漱石と主人公・坊っちゃんの給料を比較してみました。