よりよい日々を

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柳宗理『柳宗理 エッセイ』の感想です

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柳宗理『柳宗理 エッセイ』(平凡社ライブラリー)を読みました。

柳宗理というと、バタフライ・スツール、今でも根強い人気のある鍋やカトラリーのデザインでも知られている日本を代表するデザイナー。 父親は民藝運動の柳宗悦。民藝館の元館長。

という情報くらいしか知らない私でしたが、前に読んだ高木崇雄『わかりやすい民藝』(D&DEPARTMENT PROJECT)でおすすめされていたことをきっかけに読んでみました。

 

「民藝について柳宗悦の息子さんはどう考えていたんだろう?」ということよりも、「著名なデザイナーって何考えているのかしら?」というほうに興味がありました。

結果として、どちらの好奇心も満たしてくれる内容でした。

 

エッセイというより現代デザイン批評

『柳宗理 エッセイ』は、柳宗理のいくつかの著作をまとめた選集です。

 

「エッセイ」というタイトルなので、「毎朝、僕がゆで卵に使うエッグスタンドは、アムステルダムの蚤市で一目ぼれしたもの。100年以上前、デルフトで…」みたいな、デザインがよい持ち物自慢がライトに始まるかと思いきや、そうではありません。

「エッセイ」というよりも「現代デザイン批評」が始まります。

 

最初の「デザインとは何か」の章は、文章を書いた当時のデザイン、デザイナーに対する批判がメインな感じです。書かれたのは十数年前ですが、今も通じるところが多いと思いました。

 

たとえば、デザイナーが消費を刺激することを意図し、デザインと実用性が結びつかないものを作っていること、紙面でデザインを済ませて試作に取り組まないこと、発注した企業を納得させることだけを考えていることなど。

「今日では、よく売れているものは良いデザインであるとは必ずしも言えない」

(柳宗理『柳宗理 エッセイ』62頁より引用)

というのは、なるほどと思います。

 

そして、ただ批判するだけでなく、柳宗理自身がデザイナーですので、つづく文章で「自分はこうやりました」というのを見せてもらえます。これが本書の強いところだと思います。

 

どうやってデザインをしてきたか

次の「デザインが生まれる瞬間」の章では、柳宗理がこれまでどのようにデザインしてきたかについて解説しています。

 

たとえば、椅子の試作だけで経費を何百万円費やしたこと、地下鉄や橋の建設でもうけ主義のメーカーや官僚主義の役所との調整に苦心したことなど。

デザインの理想を掲げるだけでなく、柳がよいデザインのために奔走してきたということが記されています。

 

柳宗理が、見た目の美しさだけでなく、実用性を重視してデザインしていることが、私の一番印象に残りました。

本書を読んだ後、インテリアや調理器具などの買い物に出かけると、自分の物に対する見方が変わったような感じがしました。

お店で、素材も見た目も素敵なエプロンを見つけて手に取りましたが、実用性の面から考えると、どうしてこういうデザインにしてしまったのだろう?と疑問が生まれた部分があり、買うのをやめました。

 

機械で作った製品は、民藝ではない?

「新しい工藝・生きている工藝」の章では、柳宗理がデザインしたもの以外の素敵な工芸品が多数紹介されています。

ここでは写真が多く用いられていて、今でも手に入る製品もあり、わくわくします。

 

この章は、雑誌『Casa BRUTUS』に連載されていたものです。

紹介している工芸品の中に機械製品があることが、読者の反感を買ったようで、柳宗理は反論しています。

いずれにせよ、手工業的製品であれ、機械的工藝品であれ、良いものは良いのであって、その良いという絶対的な美の世界には、手工藝的とか機械工藝的とかいう区別された二元の世界は、自ずと解消されてしまうと言えないでしょうか。

(柳宗理『柳宗理 エッセイ』150頁より引用)

また、民藝論についても、次のように書いています。

しかし、我々の生活用品の殆どが機械製品に埋れてしまっている現在、民藝論を手工藝の狭い範噂のみに止めて置くことは、必然と民衆とは縁が遠くなり、ついには民藝論そのものの存在価値がなくなってしまうと思います。民藝論を末永く意義あらしめるためには、人間が工作するもろもろの物にまで民藝論を浸透させる姿勢が必要だと思います。

(柳宗理『柳宗理 エッセイ』155頁より引用)

 

私自身も柳宗悦の民藝論を読んで、柳が文章を書いた当時はよかったのでしょうけれど、今どき、手仕事のものは高く、とても一般的なものとは言えないので、なんだかもやもやしたことがありました。

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民藝論を柳宗悦が定義していたものから変更することに抵抗がありますが、さりとて、過去の思想として捨てるには惜しい魅力があると私は思います。

 

柳宗理は、民藝館の元館長でしたが、民藝館が「単なる過去の資料の陳列館」となってしまうのを危惧していました。

過去及び現在は未来のために在る。我々は宗悦が残していった民藝論を、なんらかの形で未来に活用しなければならない。また、せっかく残していった民藝館から何かを感得して未来に引き継ぎ、新しい健康的な物を生まなければならない。私の夢は民藝館の隣に現代生活館なるものを建て、現代の機械製品の良い物を並べて、民藝館との繋がりをしっかり明示したい。

 (柳宗理『柳宗理 エッセイ』320頁より引用)

柳宗理は2011年にお亡くなりになり、「現代生活館」なるものが、結局建てられることがなかったことを読者の私は知っています。

しかし、「現代生活館」と似たようなコンセプトのものを民藝館以外で観たことがありますし、民藝論はやや受け取られ方を変えながら、現代でも魅力を感じる人が多いと感じます。

民藝-デザインの橋渡しが、うまくいったからかなと思います。

 

 

長くなったので、感想はこのくらいで。

他にも、「日本のかたち・世界のかたち」の章で、沖縄のシーサー、ネパールのストゥーパなど、日本・世界の伝統的なデザインについて論じています。

また、最後に、柳宗悦と民藝運動の同人、母についての思い出話や、柳宗理が戦後、デザイナーとしてどうやって仕事をしてきたかも簡単に書かれていて、面白かったです。

 

 

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