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バーナード・リーチ「バーナード・リーチ日本絵日記」

バーナード・リーチ「バーナード・リーチ日本絵日記」(講談社学術文庫)

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原田マハ「リーチ先生」を読んだ影響で、バーナード・リーチが書いた日記を読んでみました。

 

リーチは、終戦後の昭和28年に日本を訪れています。19年ぶりの来日でした。

その際に、柳宗悦、濱田庄司、河井寛次郎などの知己に再会したことや、日本各地の名所・窯場を巡ったこと、戦後の日本、工芸について感じたことなどを日記に記しています。

 

読んで思ったことは色々あるのですが、その中でも「リーチ先生」の亀ちゃんのモデルについて書こうと思います。

原田マハ「リーチ先生」の主人公「 沖亀乃介(亀ちゃん)」は、架空の人物です。

しかし、リーチの日記を読んで、モデルとまではいかないかもしれないれど、原田マハの空想のタネになったかもしれないなと思う人物がいました。

「 亀ちゃん」がでてくる?

以下、「バーナード・リーチ日本絵日記」より、ちょっと長いですが、引用します。

    今日はまた思いがけないことに亀ちゃん(森亀之助)の従妹が私を訪ねてくれた。彼女の語るところによると、私たちは四十年前に彼女の家を訪ねたことがあるという。その当時彼女はまだほんの十五歳の少女だったとか。彼女はまた亀ちゃんが肺病で彼の父親の家で息を見引きとったことを話してくれた。しかし、彼女は彼がどこに葬られたかは知らなかった。彼の両親は前に亡くなっていた。

 気の毒な亀ちゃん!  君の人生の目的はなんだったのだろう。かつて君がまだ十三歳の頃、私のエッチング画の載っている新聞を片手ににぎりしめ、ぜひ私の弟子か下働きにしてくれと頼みにやって来なかったら、君の一生はもっと幸福だったのではなかろうか。

 彼はいつも「そうじゃない」と言っていた。あのころ私にもっと洞察力と将来への見通しがあったら、一文なしの子供が外国人のもとで藝術の修業をするということは、彼の将来をただ困難にするだけだということがきっと判ったに違いない。しかし、それに気がついたのはその後二、三年してからで、時すでにおそかったのだ。私は当時、その結果が早発性痴呆症やこのような孤独や失敗をもたらそうとは夢にも考えなかった。

    亀ちゃんは藝術を愛し、ウィリアム・ブレークやセザンヌやヴァン・ゴッホを愛した。そして、精神病院に引取られる前には、うまい絵を何枚か描いた。かわいそうな亀ちゃん!

(バーナード・リーチ「バーナード・リーチ日本絵日記」)

原田マハの小説の「亀ちゃん」とは、実在の人物の森亀之助は、だいぶ違う人生だったようです。

「亀ちゃん」という呼び名、リーチの弟子であったところに、類似点が見られます。

 

「 亀ちゃん」のモデルは森田亀之助?

ネットを検索したところ、「森田亀之助という人物がモデル」という説もありました。

森田亀之助は、大正〜昭和時代の著名な美術史学者で、金沢美術工芸専門学校の校長だった方です。

若い頃の森田亀之助を、日本語が不自由だったリーチに、高村光雲が通訳として紹介したと書かれているブログがありました。

リーチの通訳だった点は、「リーチ先生」の「亀ちゃん」を彷彿させますね。

chinchiko.blog.ss-blog.jp

 

「バーナード・リーチ日本絵日記」にも、森田亀之助は出てきます。

以下がその部分の引用です。

   現在金沢の美術学校長である森田(亀之助)氏が、ある日の夕刻やって来て一夜をすごし、私が二十一歳のとき日本に来た若いころの思い出を、語りに語った。当時彼は、東京の帝国美術学校で英語の先生をし、日暮里にささやかな家を所有していたので私がそれを借り、彼は隣室に住んで来日最初の数ヶ月間、私のお守役をしてくれたことがある。一九〇九年(明治四十二年)の春のことだった。その夏の真盛りのころ、彼と私は艫に櫓のついた川舟を借り、それに乗って一週間隅田川を遡り、愉快と不快相半ばする思いだったことがある。偶然にも初日にふたりは危く溺死するところだった。つまり艫の櫓を止めてある木製の止めが水中へ落ち、彼はそれを追いかけ水中へ飛込み、私もつづいて飛込んだのである。こんな昔の日や若い頃の友達の思い出は、まことに興味が尽きない。彼は昔と少しも変っていなかった。

(バーナード・リーチ「バーナード・リーチ日本絵日記」)

森田亀之助はリーチの弟子ではなく、リーチの「お守役」という後輩の面倒を見る先輩みたいな感じだったのかもしれません。

年齢も、森田亀之助が1883年生まれ、リーチが1887年生まれで、リーチのほうが年下です。

 

森亀之助から「亀ちゃん」という愛称・弟子という要素を、森田亀之助から通訳・高村家とのつながりという要素を組み合わせて「リーチ先生」の「亀ちゃん」は架空の人物として生まれたのではないかと思います。

 

「リーチ先生」の亀ちゃんの最後について

以下「リーチ先生」のネタバレを含みます

現実の2人の亀之助は、一人は悲しい結末となり、もう一人は大成する。

 

その事実に改めて、「リーチ先生」の亀ちゃんは、どうなのだろうと考えました。

物語の最後、亀ちゃんは、自分の陶工を見つめ直すために、リーチ先生や恋人のいるイギリスから日本へ帰国します。

その後の亀ちゃんについては、亀ちゃんの息子・高市を通して、知ることができます。

亀ちゃんは、日本中を旅し、小石原焼に惹かれ、作家として名前を売って仕事をするのではなく、最後は無名の伝統的な陶工になりました。

そのような姿に、息子の高市が感じていたように、自分の陶工を見つけたといえるだろうかという疑問を抱いてしまうかもしれません。

 

しかし、陶芸家として有名になりましたという最後では、逆に民藝の精神に反するのかもしれません。

柳宗悦の提唱した民藝は、無名の工人による民衆的な工芸に感じる美であるといえるでしょう。

そして、亀ちゃんはそれを体現していたといえるのかもしれません。

無名の職人よりも個性の強い有名陶芸家のほうがいいじゃん!と思いがちですが、そうじゃない美しい世界もあるんだよということを、なんだか教えてくれる気がします。

 

「バーナード・リーチ日本絵日記」は、リーチの人となり、リーチが見た当時の日本の姿がわかって面白いです。「ラウドスピーカー」などは今の日本でも大いに共感するところです。

 

「リーチ先生」文庫版が販売されています。

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