鳥羽和久『おやときどきこども』(ナナロク社)を読んだ感想です。
福岡で学習塾を開校している著者が、親子の在り方を探る一冊です。
雑誌『暮らしの手帖』の武田砂鉄「今日拾った言葉たち」で、次の一文が紹介されていたことをきっかけに手に取りました。
意志や目標というのはたびたび大人が子どもに「責任」を取らせるための罠(トラップ)として使われます。
(鳥羽和久『おやときどきこども』より引用)
本書は、子どもを自分の思いどおりにしようとする親に対し、考え直す機会を与えてくれる一冊だと思います。
「文学×教育」
「1 新しい子どもたち」では、著者がこれまで出会ってきた子どもたちのエピソードを基に、親や周囲の無理解に対し、葛藤する子どもの姿が描かれています。
成績がよいほうなのに、親に「うちの子は勉強をしない」などと言われてしまう子。存在を否定する心理的虐待を親から受け、大人になっても人とうまく関係性を結べない子など。
本書の特徴は、著者が文学修士(日本文学・精神分析)ということで、物事の見方に、その方面の知識の活用があることだと思います。
たとえば、石牟礼道子の自伝などからの引用があったり、「コンテクスト」「ストーリー」といった言葉を使って説明したり、というところに著者の文学のバックグラウンドを感じました。
私自身も大学で文学を専攻していたので、抵抗なく読め、むしろ、教育や家庭についても文学の見方で読み解くことができるのだなと興味深く思いました。
他方、そういったものに触れてこなかった方にとっては、とっつきにくく感じるかもしれません。
大人の常識は正しいのか?
「2 大人の葛藤の中身」では、親や教師が子どもに接するときに、やってしまっている行動や発言を取り上げています。
平等なようで平等でない宿題の話。夢を語る子どもに対して、「そんなに現実は甘くないわよ」という声掛け。目的がわかりにくい「遊び」ではなく、塾や習い事など「企て」を子どもにやらせようとすることなど。
宿題は平等にすべき、現実的な稼げる仕事を目指すべきだ、無駄な遊びではなく塾でたくさん勉強するべきだ、といった「大人の常識」に対し、著者は疑問符を投げかけます。
意志を言質に責任を追及する親
冒頭で引用した意志の話は、「3 子どもと意志」で出てきます。
著者は、親が子どもの意志を尊重することは正しいが、子どもの「意志」を言質にとって、責任と義務を押し付けるのは問題であると指摘しています。
責任と義務を求められた子どもは、自信をなくしたり、次の意志を持つことが難しくなったりします。
また、子どもは周囲から影響を受けやすいため、その行動が純粋な本人の意志によるものだとは言い切れないところがあります。
本書では、大人が、抑圧でも説得でもない形で子供自らの欲望と向き合い、対話するにはどうしたらよいかのヒントが書かれています。
子どものころの自分に向き合う
「4 子どもと言葉」では、タイトルの「おやときどきこども」の言葉の意味を感じさせる部分があります。
それは、親が子どもの頃の自分が感じていたことを、もう一度感じ直してみるということについて書かれている部分です。
親が子どもだった自分に向き合い、自分の弱さを受け入れること。そのことが、目の前の子どもを認めることにもつながるというものです。
読んでいる途中、私自身も子ども時代のあれこれを思い出しました。
たとえば、中学生の頃、母親に「女の子は勉強できないくらいがかわいい」と言われていたことや、学校で行動を共にしていた友達が、彼女の親族からプレッシャーを受けて「医師か薬剤師に私もならないと恥ずかしい」と話していたことなどを思い出しました。
中学生のときにも、それらの発言に抵抗を感じていましたが、その頃は今ほど精神的な強さがなかったので、そういった言葉の一つ一つに振り回されていたように思います。
現在の私は、これから子どもを育てるにあたって、育児書を読むなど、子どものためにできることはなんだろうかと考えている最中です。
大人になった私は、子どもの将来を思うあまり、わかりやすいもの、成果が出ることが期待しやすいものに飛びつこうとしてしまう親の気持ちもわかります。
本書は、子どもを自分の思い通りにしようと、つんのめる親に立ち止まって考える機会を与えてくれます。
私は大人になって環境が変わって、子ども時代の葛藤が薄れていくことがうれしいと感じていたのですが、逆にすべてを忘れてしまうと自分の子どもの気持ちがわからない親になってしまうのかと思いました。
本書は、親子関係について、わかりやすい正解、解決策を提示してくれるものではありません。
むしろ、不安定さ、曖昧さをそのまま受け入れることが書かれています。
親に必要なのはきっと、世の中に対しての正解を求めることではなくて、自分自身に対する正直さや率直さではないでしょうか。親としての正解を求めるよりも、単に一人の人間として、自分の中にある曖昧さをそのまま認めることではないでしょうか。
(鳥羽和久『おやときどきこども』より引用)
とても考えさせられる一冊でした。
そのすばらしさをうまく文章にできないのが、もどかしいです。
次は前作のこちらを読んでみたいです。