一度見たら忘れられない、青い皮膚、赤く丸い目の巨人。
巨人の手のひらには、人間らしき男の子が乗っている。
ルネ・ラルー監督の1973年制作アニメ映画『ファンタスティック・プラネット』。
アニメで初めてカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品され、審査員特別賞を受賞した作品。
芸術性・独創性の高いこのアニメは、宮崎駿監督にも影響を与えたといわれています。
でも、すごく気持ち悪くない?
ガロ系が好きな人は、朝ご飯でも食べながら見ちゃうだろうけどさ、
絶対、子ども泣くぜ?
そうは思いながらも、つい見てしまいました。
あらすじと、感想、宮崎駿についてなどです。
<以下、本作と漫画『風の谷のナウシカ』のネタバレがあります。>
あらすじ
ドラーグ族=青い皮膚の巨人 オム族=人間
地球とは全く異なる生態系を持つ惑星イガム。
この惑星に暮らすドラーグ族は、青い皮膚に、魚のような耳、赤い瞳を持ち、高度な文明を築いて暮らしていた。
一方、ドラーグ族の指ほどのサイズしかないオム族は、人間にそっくりな見た目で、原始的な生活をしていた。
ドラーグ族は、自分たちの食料を盗むオム族を、害虫として駆除したり、子どものペットとして飼育したりしていた。
テール=人間の赤ん坊 ティバ=ドラーグ族の少女
ある日、赤ちゃんを抱いたオム族(人間)の母親が、ドラーグ族(巨人)の子どもに、お遊びで殺されてしまった。
遺されたオム族の男の赤ちゃんは、ドラーグ族の少女ティバに拾われた。
県知事であるティバの父は、ティバがその赤ちゃんをペットとして飼うことを許し、「テール」と名付けられた赤ちゃんは、ティバのよき遊び相手となった。
「レシーバー」という学習機械
ドラーグ族の子どもは、学校ではなく家で、脳に直接情報を送る「レシーバー」というカチューシャのような見た目の装置を、頭につけて学習していた。
ティバは、学習の際、テールを手のひらに乗せていたため、テールも一緒に知識を得ることができた。
オム族の1年は、ドラーグ族の1週間のため、テールはどんどん成長していった。
「瞑想」をやたらするドラーグ族
ドラーグ族の大人は「瞑想」を習慣的に行っている。
ティバも一定の年齢になり、「瞑想」を始めるようになった。
その後、ティバが以前のようにテールと遊ばなくなり、知識を身につけたテールは、ティバの家から脱走を試みた。
脱走する際、テールは一緒にティバの「レシーバー」を持ち出した。
他のオム族との出会い
脱出に成功したテールは、オム族の若い女性に出会い、オム族が隠れて暮らす集落に案内される。
ドラーグ族の言葉が読めるテールは、ドラーグ族のスパイであることを疑われるが、決闘裁判で勝ち、集落で暮らし始める。
原始的な生活をしていた集落の人たちは、テールが持ち運んだ「レシーバー」を使い、知識を得ていった。
オム族の駆除
ドラーグ族の議会で、オム族の駆除を強化することが決まり、機械を使った毒ガスによる駆除が始まった。
テールのいる集落でも多くのオム族が死ぬ。
オム族は、ドラーグ族に反撃し、一人のドラーグ族を殺害した。
しかし、このことによって、オム族の駆除がさらに強化されるようになってしまった。
安住の地を求めて
今までの場所で暮らすことのできなくなったテールたちオム族は、ドラーグ族がロケットを捨てている「墓場」で生活するようになる。
そこで、オム族は、捨てられてあったドラーグ族の機械を使って、ロケットを作り、安住の地へ行くことを計画する。
やがて、ロケットが完成したテールたちオム族は、ドラーグ族が住んでいない衛星「野生の惑星」へ出発する。
ドラーグ族の秘密
オム族のロケットがたどり着いた「野生の惑星」は、荒野が広がり、対になった男女の首なしの像が、無数にある土地であった。
やがて、それぞれの男女の像に、「瞑想」したドラーグ族の意識が飛び移り、ワルツを踊りはじめた。
この光景を見たオム族は、ドラーグ族の秘密―「瞑想」によって意識を飛ばした「野生の惑星」において、異星人と婚礼の式をあげることで、生命エネルギーを得て、種の保存を行う―を知った。
オム族、反撃開始
秘密を知ったオム族は、ロケットのミサイルで、像を次々と破壊していった。
このことで、文明の危機に陥ったドラーグ族は、オム族に和平を申し出る。
オム族は、和平を受け入れ、人工の惑星「地球(テール)」で暮らすようになった。
しかし、ドラーグ族が暮らす惑星イガムにも、一部のオム族は残っていて…。
感想
だいたいこういうSFものは、落ちが、人間の「過去の姿」または「未来の姿」かのどちらかなので、オム族は先祖か子孫かどっちかなんだろうなと思いながら観ていました。
それでも、最後に明かされる「瞑想」の秘密には、びっくりしました。
それ以外も、キャラクターデザインや世界観がオリジナリティが溢れていて、イマジネーションの爆発という感じがしました。
芸術性は高いのでしょうが、ドラーグ族のデザインとか、あまりにも大衆受けを気にしていない感じです。
そのことで、かえって尊敬の念を抱いてしまいます。
完成に4年かかったとのことですが、私が制作スタッフの一人だったら、途中で「無理でしょ」と思って、投げ出してしまいそうです。
宮崎駿監督への影響
宮崎駿は、本作を鑑賞し、日本のアニメに「美術が不在」していることに気がついたそうです(宮崎駿『出発点―1979~1996』)。
シュールさで忘れてしまいそうですが、確かに、外にできた水晶なようなものを口笛で割るシーンとか美しいですよね。
また、『ファンタスティック・プラウネット』の動植物の造形が、『風の谷のナウシカ』に影響を与えたことが指摘されています。
腐海の植物の奇妙だけど、美しい感じのこととかでしょうか。
オウムの目の赤さ、ナウシカの服の青さも、『ファンタスティック・プラネット』のドラーグ族を連想させるといったら、それは言い過ぎでしょうか。
『風の谷のナウシカ』のアニメではなく、漫画のほうがその影響を感じさせられるかもしれません。
「旧世界の人間」対ナウシカたち「現生の人間」という対立構造。
その後、「旧世界の人間」から「現生の人間」に世界の主導権が移るのも、「墓所」という場所がキーとなりました。
もう少し深堀したいような感じがしますが、しばらく、漫画『風の谷のナウシカ』を読んでいないので、改めて読みたいと思います。
『風の谷のナウシカ』漫画版も、『ファンタスティック・プラネット』と同様、イマジネーションの爆発で、また異なる点で大衆受けを気にしていない作品ですね。
そういうのばかりだと困るけど、たまにはこういうのに触れるのも楽しいものです。
『ファンタスティック・プラネット』と『進撃の巨人』『約束のネバーランド』を比較した記事です↓