シモーヌ編集部編「シモーヌ(Les Simones) Vol.1 」(現代書館)
「シモーヌ」を読みました。以下、どんな本か簡単にご説明、私とフェミニズムの話と、「シモーヌ」の感想です。
「シモーヌ」ってどんな本?
写真のとおりの洒落た表紙に、
「雑誌感覚で読めるフェミニズム入門ブック」
「特集 シモーヌ・ド・ボーヴォワール」
との言葉。
書店の平積みを見て知り、手に取った一冊です。
厳密には雑誌ではないと思いますが、26人ほどの執筆者による寄稿を集めた文芸誌のようなスタイルです。
また、本の厚さが約130頁と薄いこともあって、軽く読めそうな雰囲気。
今回が1冊目の創刊号です。
フェミニズムの学術書はたくさんあるけれど、
「女性にまつわる身近なこと」を考えはじめた人には手に取りにくいかもしれないというから、若い世代と研究書をつなぐ媒体として創刊されたそうです。
「第二の性」と私の青春時代
読書の感想と個人的な体験は切り離せない関係にあると思うので、今回は、私と「第二の性」について話してみようと思います。
本の感想だけが知りたい方は、下へスクロールしてください。
私は高校生のときに市の図書館で、
新潮文庫版「第二の性(上)」をたまたま見つけて、読みました。
その時、何を思って「第二の性(上)」を手に取ったのかは覚えていませんが、
上野千鶴子の本を数冊読んだことがあり、フェミニズムという言葉も知っていました。
「第二の性」は、高校生の私にはとにかく衝撃的な本でした。
ネガティブな内容による絶望感で、具合が悪くなるほど。
読了いたしましたが、続きを読むのは、なんとなく、ためらわれたのでした。
ですから、私は下巻は読んでいません。でも、やがて向き合えるときが来たら、読みたいと思ったことは覚えています。
私が、「第二の性」を読むまで女性であることの苦しみに気づかず、のほほんと過ごしていたかとそうではないように思います。
やはり、どこか気づいていたからこそ、上野千鶴子やボーヴォワールの本を手に取ったのでしょう。
たとえば、母が安い時給のパートタイマーであるために、金銭的な自立ができず、理不尽な父の仕打ちに耐えていたように、子どもの頃の私は感じたであるとか。
母に「女の子はあまり勉強できないくらいが、かわいい」と言われたこととか。
通っていた高校で、とある男性教師が授業で男子生徒しか当てないこととか。
隣の席の同級生の女性が、国語の教科書を見て、「前田愛? 女なのに大学教授って生意気だね」と言ったことなど(その後、大学生になり、前田愛は男性だと知りました)。
思い返すと、ところどころに、このような暗さがあって、それが女性だからなのか、個人の問題なのか切り分けるのは難しいのですが、こういった体験がフェミニズムに興味を持つきっかけになったのだと思います。
そして、「第二の性」を読んで、改めて、そういった暗さに自分の目が今まで以上に向かざるを得なくなったのを感じました。
「第二の性」では、女性が男性よりも劣った「第二の性」として扱われてきたことについて批判しているので、こういった私の反応は少し変かもしれません。
その頃の私は、読んだことによって世界が暗い方面に広くなったような気がして、怖くなりました。
そのため、上巻を夢中になって読んだにもかかわらず、下巻を読むのをやめたのです。
それから何年か後、「第二の性」の続きを読もうとした時には、絶版になっていることを知り、読まないままです。
高校生だったあの頃よりも、心が強くなり、女として生きることの苦しみをさらに知った今。
そんな今だからこそ、高校生のときとは全く違った読みができるんじゃないかと、「シモーヌ」を買った帰りの電車の中で思いました。
「 シモーヌ」感想
長々と私の昔話が続いてしまいましたが、以下は、本題の感想です。
この本は入門書なのか?
この本の表紙には、「フェミニズム入門ブック」と書かれていますが、そうしたいという編集者の意図に対して、中身がマッチしているのか、少し疑問に思いました。
木村信子(東洋大学客員研究員)が、実存主義に絡めて「第二の性」を論じ、
かなりわかりやすく書いているとは思うのですが、
実存主義はもともと用語が特殊で難しいため、これを「へー、そーなんだー」と読める初心者がいるなら、かなりのツワモノだと思います。
また、その数ページ前の次のような記載の軽いノリに対して、大きなギャップがあります。
「語ろう。美味しいごはん、ファッション、アイドル、恋……」
(「シモーヌ」p9より引用)
つまり、編集者の意図と執筆者の書いた原稿がズレている感じです。
美術雑誌によくあるような、初心者向けの平易な説明(図解やQ&A形式とか)を冒頭に数頁入れれば、ぐっと初心者にも対応している本っぽくなるのではないかなと思いました。
そもそも、特集のテーマが「ボーヴォワールと「第二の性」刊行から70年」であることからして、この本を手に取る人って、本当のフェミニズム初心者なのかというのは謎です。
入門書かどうかの謎は、さて置き。
それぞれの寄稿文は、フェミニズムの様々な視点を提示していて、興味深かったです。
中でも私が印象に残ったのは、小学生の娘が自分の体毛を気にしているという話から始まった写真研究家小林美香氏の寄稿文です。
美容産業の宣伝による影響力や、フェミニストが子どもとどうやって接するかなど考えさせられました。
石川優実さんについて
もう一つ印象に強く残ったのは、石川優実さんです。
この本の中身をよく見ずに、素敵な表紙に心惹かれて購入し、電車でこの本を広げた人は驚くと思います。
なぜなら、巻頭に、石川優実さんのヌード写真が掲載されているからです。
私は写真を見て、攻めているな!と思いました。
石川優実さんは、ニュースで取り上げられているのをご存じの方もいるかと思いますが、
芸能活動をしていて、今は「#kuToo」の活動をしていることで有名な方です。
「#kuToo」では、職場でのヒール、パンプス着用の強要に反対しています。
彼女が、「#kuToo」というフェミニズムの活動していることと、
彼女自身の身体を男性向けの商品とし、ヌード写真を撮られているということに、
矛盾を感じる方もいるかもしれません。
この本では、ライターの玖保樹鈴氏が石川優実について書いていて、
彼女のこれまでのことを知り、勇敢さに敬服いたしました。
また、海外ではエマ・ワトソンなどがフェミニストであることを公言し、活動を行っているのが有名ですが、
日本でも、フェミニストだからといって短髪でズボンを履いている必要はなく、もっと自由でいいんだなと改めて思いました。
現代において、フェミニズムにとらわれるのか?
藤高和輝氏(大阪大学助教)が取り上げたトランスジェンダーのトイレの問題や、想田和弘氏(映画作家)による夫婦別姓訴訟の原告であるという話を読んで、そもそも「フェミニズム」という枠は必要なんだろうかと疑問に思いました。
現代において、女性よりもトランスジェンダーのほうが生きにくい世の中だと思います。
また、想田氏の夫婦別姓訴訟の寄稿文では、結婚して女性の姓を名乗ることは、男性側も「婿養子」と一段低く見られてしまうという問題を指摘していて、夫婦同姓の問題は女性だけのものではないことを気づかされます。
先ほど紹介した「#kuToo」の活動は、女性の靴だけを扱っているようですが、私は男性の革靴も湿度の高い日本では不衛生で、女性のパンプス・ヒールよりも強制されている人口が多いと思うので、どうなのだろうと思います。
女性であることも、男性であることも、トランスジェンダーであることも苦しい世の中で、私は女性の問題だけじゃなく、女性も男性もトランスジェンダーも住みやすい社会を考えていきたいなと思いました。
そのため、「フェミニズム」という枠にこだわることで、その他の問題を見捨てるのはやめたいと思います。
この本「シモーヌ」は、フェミニズムの重要な思想家シモーヌ・ド・ボーヴォワールのファーストネームを冠し、フェミニズムに特化していくことと表すことで、得るものも大きいと思いますが、他方で女性の権利以外のところを今後どのように扱っていくのか興味があります。
2020年5月に2号が販売になったみたいです。テーマは、アメリカ人印象派画家のメアリー・カサット。