前回に引き続き、オリンピック開会式の考察です。
今回は、選手入場の演出を中心に考察したいと思います。
先に全体の流れについて
「選手入場」の前に全体の流れについて。
東京オリンピック開会式は、
- コロナ禍でのオリンピック開催
- 平和への祈り
- 競技の紹介
- 競技会場・名所の紹介
というテーマで進行されているように感じました。
各国の選手が入場するパートは、【コロナ禍でのオリンピック開催】の最後の部分で、その次の【平和への祈り】につながるパートだと考えます。
選手入場にざわついた理由
「選手入場」では、衣装やプラカードには漫画のモチーフが、BGMにはゲーム音楽が使われていました。
振袖プロジェクトは?
国の名称が書かれたプラカードには漫画の集中線や吹き出しのデザインが、プラカードベアラーの衣装には「服のイラスト」やスクリーントーンの柄が使用されていました。
プラカードベアラーの衣装については、各国をイメージして製作した振袖を使用する「KIMONOプロジェクト」の案もありました
「KIMONOプロジェクト」は、クラウドファンディングにより資金を集めた民間の団体によって進められていたプロジェクトでした。
振袖は製作されたものの、東京オリンピック組織委員会は「KIMONOプロジェクト」を採用しませんでした。
夏に振袖は暑いし、プラカードベアラーには男性もいたためでしょうか。
このことはオリンピックで着物文化の発信を期待していた人たちにとっては、残念だったようです。
任天堂の曲が無い
選手入場のBGMには、「ドラゴンクエスト」の「ロトのテーマ」を始めとする日本のゲーム音楽が採用されていました。
BGMでは、任天堂の曲がなかったことが話題となりました。
その理由を2つ推測します。
1.「週刊文春」によると、当初の開会式の責任者だったMIKIKOによる案では、マリオが競技説明をする予定だったようです。しかし、その後MIKIKOが責任者を辞退し、準備していたマリオ案は使われず、動くピクトグラム案に変更となったことに任天堂側が怒り、不参加を申し出た。
2.日本国内でオリンピック開催に否定的な世論が強まるなかで、イメージダウンを恐れた任天堂が不参加を申し出た。
どちらも推測の域を出ませんが、海外でも愛されている任天堂のゲームの曲を使わないことは考えにくいので、任天堂側の何かしらの判断で不参加になったのだと思います。
なぜ、漫画やゲーム音楽なのか?
選手入場で漫画やゲーム音楽を使用したのは、勿論、日本文化の紹介という意図があると思います。
それと同時に、漫画やゲームが表すところの意味は、「各国がスポーツで「戦う」といっても虚構に過ぎない」ということだと思いました。
漫画やゲームが、どんなに素晴らしく楽しいものであっても、フィクションです。
それと同じように、オリンピック選手がスポーツでどんなに一生懸命に戦ったとしても、それは「本当の戦い」とは異なります。
オリンピックで国と国の代表が戦うのはあくまでも「ゲーム」で、人が死んだり傷つけたりするような「本当の戦い」ではありません。
選手入場で漫画やゲームというモチーフを使うことによってスポーツの虚構性を表現したのは、その次のパートの【平和への祈り】につなぐ役割があると思います。
平和への祈り
選手入場の次は、花火と選手宣誓。
選手宣誓の次は、1824台のドローンで地球が表現され、世界の歌手が「イマジン」を歌う映像が流されました。
オリンピックはスポーツ力で紛争のない世界の実現を目指していて、開催期間中は休戦を呼びかけています。
橋本会長やバッハ会長のスピーチでも、「平和の精神」「平和の祈り」といった言葉などでオリンピックが平和の祭典であることを強調していました。
イマジンのパートは、平和の祭典であることを表現したパートです。
オリンピックで盛り上がる人々がいる一方で、世界には今も紛争で苦しむ人々がいることに想いを馳せるのは大切なことだと思います。
イマジンだけ違う感じがする?
真偽は不明ですが、「週刊文春」はイマジンの使用にはIOCの意向があったと報じています。
そのせいなのか、イマジンの歌唱映像は他の映像パートとは違う雰囲気を感じました。
こういったところも、開会式の各パートがバラバラに感じる要因の一つだったのかもしれません。
【追記】
続編を書く前に閉会式がありました。
続編を書く意欲をなくし、考察は全2回となりました。
↓前回の記事です。