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松田道雄『私は赤ちゃん』(岩波新書)の感想です。

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松田道雄『私は赤ちゃん』(岩波新書)を読みました。

 

この本が刊行されたのは、1960年。今から約60年前です。

長きにわたり重版し続けられ、私の手元にあるものは、2019年の第86刷です。

ロングセラーの「赤ちゃん本」がどんなものか気になり、手を取りました。

 

「吾輩は赤ちゃんである」

団地で暮らすママとパパの元に生まれた赤ちゃんの生活が、赤ちゃんの目線で描かれています。

 

初めての子育てにあたふたするママとパパ。

本能のままに自己の欲求を満たそうとする赤ちゃん。

ママとパパは赤ちゃんのためを思って、あれこれしますが、赤ちゃんの願いとは裏腹のになることもしばしばです。

そして、そんな家族の姿は、60年前と今とで大して変わりません。

 

勿論、実際の赤ちゃんがこの本を書いたのではなく、作者は小児科医の松田道雄医師です。

文章から、赤ちゃんを取り巻く環境に対する、松田医師の鋭い観察が窺えます。

 

たとえば、周りのさまざまな人や物が、「赤ちゃんに優しい」ふりをして、実際は赤ちゃんのためになっていないことが多く描かれています。

隣の奥さんはすぐにママに間違っている育児の知識を吹き込むし、診療所の医師は赤ちゃんに必要以上の注射を打ちます。

オムツカバーは通気性が悪く赤ちゃんのお尻が汗疹になるし、子ども向けであるはずの遊園地ではミルクを作るためのお湯を手に入れるのが大変でした。

 

 

 

赤ちゃんの「声」を聴く

新米ママ・パパは、「赤ちゃんに優しい」ようで優しくない環境の中で、育児のやり方を模索します。

育児のヒントは、育児書でも隣の奥さんとの立ち話でもなく、赤ちゃん自身にありました。

 

本書の「私」である赤ちゃんに、ママは、育児書のレシピどおりに作った、砂糖入りのミルクがゆを与えようとします。

「私」はそのおかゆを一口食べただけで拒否します。

 ところが私は、パバのイデンだろうと思うがから党なんです。赤ん坊にそんなものがあるかって。大ありですよ。から党もいれば甘党もいます。おとなには大食漢と小食とがあって、赤ん坊には、それがないとでも思うんですか。赤ん坊だって人間ですよ。赤ん坊だと思って人間扱いしないのは、おとなのわるいクセです。私がから党だからって、何のふしぎがあるもんですか。

 ところが、ママにはそれがわかってもらえないんだから、ほんとに泣けちゃう。子の心親知らずか。

(松田道雄『私は赤ちゃん』(岩波新書)より引用)

 

その後、赤ちゃんはパパがくれた味噌汁を吸って、ママとパパに、自分がから党であるという無言の主張をします。

 

本書のママのように、私も育児書やネットで見たやり方を赤ちゃんに試していました。

それでうまくいかないと、「どうしてダメなんだろう?」と悩み、他のやり方をネットで検索したり、母やママ友に相談したりしていました。

 

初めての子育てで、自分が思っていた以上に赤ちゃんの意思の強いことを実感しています。

「赤子の手をひねる」という言葉がありますが、手をひねるのは簡単でも、赤ちゃんって、結構、頑固なんですよね。

 

生まれたばかりの赤ちゃんでも、それぞれに個性があって、他の赤ちゃんでうまくいく方法が、自分の赤ちゃんでもうまくいくとは限らないのです。

検索魔になるのではなく、もっと赤ちゃんを観察し、赤ちゃんに寄り添って、育児をしようと思ったのでした。

日々、子育てをするなかで薄々感じてはいたけれど、本書を読んで、よりいっそう、そういう思いを強く抱きました。

 

実際、赤ちゃんの意思を尊重するようにしてみると、少し楽にもっとスムーズに、でも、問題なく過ごせています。

そして、親が赤ちゃんの「声」を聴くことは、これから赤ちゃんが身につけていくコミュニケーションの初歩として、とても大切なことでもあると思います。

 

 

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